25番札所
ここ25番札所はなかなか見つかりませんでした。
最初は資料通り若宮八幡宮と神田稲荷神社周辺を気をつけて見回ってみましたが、そのどちらでもなさそうでした。
さらに範囲を広げて歩いてみましたが見当たらず。
八幡宮の隣で畑をされている方に確認しても分かりませんでした。
ただ備考欄に
尻海二十一か所太子堂:天明3年(1783)〜5年(1785)3月にかけて松屋文右衛門が建設。
尻海二十一か所巡り 第19番札所。
と書かれている。
これは”邑久郡 南巡り八十八ヶ所巡り 25番札所”と”尻海二十一か所巡り19番札所”が同じ場所を指していると思います。
そこで24番札所で撮影していた画像を確認すると、
邑久郡 南巡り八十八ヶ所巡り 24番札所
24番札所 ここ24番札所に来て、4枚目画像の”尻海太子の道”の絵地図がかかっているのを見て、邑久町尻海のみで太子巡りがあるのことがわかりました。 その上で3枚目の画…
ん?
19番札所は絵地図で見ると若宮八幡宮や神田宮と近いが、違う道から入っていくようになってる。
この絵地図、とても可愛いくて分かりやすい地図なんですが現実とは少し雰囲気が違うんですよね。実際には民家と民家の間(これがホントに入っていいのか悩むくらいのところ)を上がっていく道があり、やっとこの場所を見つけました。坐像に19番と彫られているので間違いはないでしょう。しかしこの絵地図が無ければ間違いなくたどり着けなかったと思います。
ただ、ほとんど人が訪れた気配がなく荒れていました。
下画像の民家の間を上がり左に上がっていってください。
右に上がっていくと、坂道から景色が眺められます。
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